コラム28  お坊さんの説法

 先日亡き母の七回忌があった。

当然、お坊さんにお経をあげてもらった。

その後でいつもながらお坊さんの説法があった。

この手のお説教は正直退屈なものが多いが、

このお坊さんはいつも説法の内容が面白いのだ。

今回は、そのお坊さんが少年院に慰問で訪れた時の話だった。

少年達は心配していたよりずっとちゃんと話を聞いてくれたそうだが、

この少年達に信仰のことを尋ねたら、家に仏壇がないと答えた子がほとんどだったという。

もちろん家が神道やキリスト教を信仰しているわけではないそうだ。

お坊さんは、どんな宗教を信じるかは問題ではなく、

何かに手を合わせるという習慣が大切だと言った。

十字架を切ることも、アラーの神を崇めることも、神前に礼をすることも、

仏壇に手を合わせることも気持ちは同じだと。

亡くなった者より、生きている自分達の生活が大事だから、

仏壇を買うお金があるのなら食料でも買った方がいいという考え方があるが、

それは違うのではないかと。

自分が生きて存在していることが一番大事だから、先祖など関係ないという姿勢から、

現実の物にしか興味を示さない、精神的に未発達な人間が出来てしまい、

荒れた心になるのだと。

今自分が存在していられるのは先祖から命を送られてきたからだ、

ということを思い出して欲しい

と説教したそうだ。

仏壇に手を合わせる、あるいは十字架を切る等の行為で、

一瞬でも見えない人に感謝して心を無にすることが大切なのではないか、

と言っていた。

別に立派な仏壇がなくても、亡くなった人の写真一枚あれば拝むことはできると。

改めて考えると、確かにその通りだと感じた。

今自分がいられることは、自分が偉いからではないことを肝に銘じた一日だった。

Mistress  Boo

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